人は、「主」と「従」という「己」を持っていた。
女の胎から生まれる人と、そうでない人。二人で一人。同じ容姿をもつ一対。一人は汗水流して働き、もう一人はそれによって稼がれた賃金で生活する。「主」は自由を持ち、「従」は働く権利を有する。いつのまにか出来上がった法律だ。主従――はて、どちらがどちらなのか。
胎から生まれぬものは昔、ドッペルゲンガーなどと呼ばれた事もあった。何処からともなく現れる、もう一人の自分。いつしか全ての人間の前にそれが現れ、共存し、不格好な均衡を保ちながら、生きている。世界が、人が、そして何かが。
さて、あるとき学者が言った。「人はもはや最高位の生き物ではない」、と。
みな気づかなかった。人はもともと最高位の霊長類で、対になったからといて、変わるわけが無い。どちらも人だ。それが常識だった。
「従」は、第二人類だったのだ。人を乗っ取らんとする人。どちらが「従」で、どちらが「主」か。「従」などは名ばかりだ。より人らしく生きてるのは、「従」――第二人類、人ならざる人――ドッペルゲンガーだったのだ。
っていう思想。パラレル。妄想。
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